5.五稜郭 〜燃えよ剣〜

わたしは、新撰組は別に好きではありませんが、司馬遼太郎の作品は好きです。
「燃えよ剣」も読みました。
土方歳三の生き様を綴った作品。
彼は、この函館という土地で命を落としました。
“五稜郭”は、そんな幕末の動乱の歴史を感じられる場所です。





やはり、五稜郭はたくさんの人でにぎわっていました。
せっかくなので、五稜郭タワーに上りました。
五稜郭タワーの高さは全高98m。
展望室は2階あり、1階が86m、2階が90m。2階まで、30人乗りエレベーターで約30秒。



展望2階からの五稜郭です。


実際に目の当たりにすると、凄いかたち!

真上から見ているわけではないので、
完全な五角形はわかりませんが、
それでも、角度や周りのお堀やらは圧巻。

写真の手前に小さく見えるのが、人です。
小さい!

この展望室の中には、五稜郭の歴史が
回廊できる展示スペースが広がっています。

土方歳三や榎本武揚など、人物の紹介や
模型などから、
ペリー来航に始まった五稜郭の歴史が、
分かりやすく紹介されていました。
五稜郭の歴史

五稜郭の誕生は、1853年の「黒船来航」に始まる。
徳川幕府は、1854年に「日米和親条約」を締結し、
箱館を開港場とした。この箱館を治めるための
新しい要塞を造った。それが五稜郭。

アメリカの要求に屈した徳川幕府に対する不満は
倒幕運動へと発展し、「戊辰戦争」へ。
旧幕府海軍副総裁榎本武揚は、艦隊を率いて
蝦夷地へ渡り、五稜郭を占拠する。

政府は、旧幕府脱走軍への攻撃を開始し、
「箱館戦争」が勃発する。

圧倒的な戦力で攻撃してくる新政府軍の前に、
土方歳三ら歴戦の面々の抵抗も空しく、
五稜郭は包囲され、旧幕府軍は降伏。

幕末維新の動乱は終結した。


その後、1914年に公園として開放された。



意外と、蝦夷地に移ってからの幕末の動乱の歴史は、覚えていないことが判明しました。
日本史、特に幕末期は好きなんですけど、ね。
もう一度、“燃えよ剣”を読み直したいと思いました。下巻を熱心に。



はい、土方歳三のブロンズ像。


函館に、新撰組グッズが並んでいるのには、
へんな感じがしました。
新撰組と言ったら、やっぱり京都でしょう。




函館の街を巡っているうちに、どうしても写真におさめたいモノがありました。
普通だったら、絶対に写真には撮らないようなものですが、
絶対に記念になると思い、写しました。



マンホールの蓋です!!

“旧函館区公会堂”が彫られています。

お洒落でしょう?

こっちが大きいタイプで、、、











こちらが小さいタイプです!










「函館のマンホール」







函館のバス!

やっぱり、函館ナンバーはいいなぁ。
羨ましいので、1枚。

でも北海道で車を購入すると、
“寒冷地仕様”になっているため、
普通よりもお高いとか。







「函館バス」




さて、名残惜しさでいっぱいですが、この辺りで函館を離れます。
淋しいなぁ・・・。
でも、絶対にまた来るのです!!



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